たまにはブログに書くことがないことについて書くのもいいのではなかろうか。
ないと断言するのは少しばかり極端ではあるが、かといってタイトルをつけてまで話すほどの出来事は少なくとも私の身には起きていない。
最近こむふく通信の秋号が発行された。今回は載せたい記事が有り余り、いつもの1.5倍のページ数となった。今回はそんな通信内の記事についてでも話そうか。
内容は活動報告やお知らせ、メンバーエッセイ、はいあがり奮闘記といった内容だ。今回の主な制作担当者は狐色さんであったため、完成品が届いた時に改めて読んでみた。
メンバーエッセイに関しては原稿が届いた際に、本人とスタッフでその話で盛り上がっていた。私はその時話題についていけず、次までに原稿に目を通しておくよといったきり、目を通してなかった。私のよくないところだ。
完成してようやく目を通した。
正直羨ましいほどの表現力を持っているなと所感で思った。自分の身に起きた出来事をその時の感情を織り交ぜながら文章に落とし込むのが上手いと申すか、とにかく私にはない文才を持っていて、読んでいて途中から羨ましくなってしまった。
どのように書けば文章に感情を乗せられるのか私にはわからない。自分にそもそも大した苦労話がないのやもと、思考したが、もしそうだとしてもそれはそれでむしろその方が悔しい気がしてきた。
苦労話でマウントを取るなんて悪循環も甚だしいが、それでも自分の生きた思いを誰かに共感して欲しいと思うのは人間の性なのだろう。
伝える力というのはそれだけで価値がある。私は言語化というものが下手くそなのかもしれない。ゲームのルール説明や理解はそれなりにできる。感情というのはそれを経てどう思ったかだ。だが、そんなことどうでもいいじゃないか。
事実楽しかったと伝えることが感情の表明になるのではないだろうか。今思えば昔から小学校の作文でもそうだったように思える。
「〜できて、うれしかったです。」
このテンプレには、かなりお世話になった。これさえ最後に書いときゃ、あとは文章で事実を陳列するだけの機械になれば良い。
感情のない感想は成り立つのか。そもそも文章から感情を読み取る云々は読み手の感受性次第であるし、この文章も感情的だと言えばきっとそうなのだろう。
思ったことを表現するのにいちいち感情など持ち出していたら疲れてしまうではないか。
だとすれば、かの事実陳列おばけが書いた文章も正当性を持った感想なのだと胸を張って言える。
独りごちってたらもう4時ですわ。さよならの時間ですね。
今回はいつも以上の駄弁り文となってしまいました。次はちゃんとこむふくのこと書きます。
では👋