こんにちは。明日はこむふくでは2回目となる、キャンドル作りの日です。キャンドルにまつわる小話というわけではないですが、人って火を見るの好きだよねと思った話です。
人の生活において火というのは古くから必要不可欠なものです。それは現代においても変わりません。
火の実用例でいうと、食べ物を安全に食べるための調理であったり、暗い場所での光源としての活用、暖を取ったり、廃棄のための焼却などが思い当たります。
しかし、それだけではありません。生活においては必要のない娯楽的な一面もあります。
今回のイベントのキャンドルも、簡素な作りなため防災用とは言い難く、目的は火の揺らぎや、ロウの溶け行くさまを眺めるといった遊びのようなもの。
お祭りなどで見る花火も火を使った娯楽として身近なものです。
そしてもう一つ、人と火の関係について、より強いつながりを感じるのは儀式的な面です。
儀式と聞くと宗教や、スピリチュアルっぽい雰囲気が出ますが、案外日常にもありふれていて、誰しもが経験しています。
例えば誕生日でのロウソクの火消し。あれは儀式です。
火をともし、誕生日を迎えたものが吹き消して儀が成立します。火には魔よけの意味があり、一息で消すと願いが叶うとか。(諸説あり)
ですが、もはやその意味すら持ち合わせない幼い頃からこの儀式に参加していたわけです。宗教云々ではなく人は儀式に意味を見出す生き物であるというような気もします。
神を信じるかなんて話はよく耳にしましたが、人生とは意味づけることだと言う様に、誰しも神や祈りにどこか頼って生きているんじゃないかと思いますね。
火の儀式は他にもいろいろあります。
聖火リレーもそうです。火を掲げて走るのの何がいいのか。と、冷静に考えれば目的なんてなさそうですが、聞けば平和や友情などといった思いを世界に伝えるためなんだとか。
キャンプファイヤーなんかモロですよね。堆く積んだ木を盛大に燃やし、その回りを大勢で歌いながら回ったりして、悪魔でも召喚するのかというくらい傍から見たら怪しい動きをしてます。
儀式は一見無意味な行動に見えます。知りもしない宗教のルーティンなんか謎ばかりですよね。
あらゆる教を肯定するわけではないですが、むしろそれこそが人間らしさの象徴なのではないかと思います。
信仰心と言うよりも、信じることが生きがいなんじゃないかと。
そんななかで火というものは、人の好奇心や可能性を掻き立てる”何か”を孕んでいるのでしょう。
うーん「何か」。何でしょう。
ですが火は怖いので、不用意に遊んだりなんかしては絶対いけません。すごく熱いし、いろんなもの燃やしちゃうし。とっても危険。
火の用心。火の用心。
-おしまい-
明日、3/10(火)13時から キャンドル作りやります
参加自由です。ぜひどうぞ~

以上です。またね👋
