先日、何やら母が怪しげな動きをしているところに出くわしました。
よく見てみるとスマホで動画を再生しながら、その動画の動きをまねているようです。何をしているのかと尋ねると、なんとも快眠ダンスを踊っているのだとか。
「これでよく眠れるようになるかな」とかなんとか言っていました。
何かおかしなことが現実で起こっていると思いませんか。この光景はものすごく違和感だ。そのときそう感じました。
なにゆえ人は快眠ダンスを踊るのだろう。その目的とは何なのだろうか。快適に眠ることだろうか。
睡眠は、脳が一日の出来事を整理する時間だと言われています。
そうすることで翌日また、素晴らしいパフォーマンスを発揮することができると。
しかしながら、その日常生活の貴重な時間を削ってまで快眠ダンスを踊る意味というのは、事実、本末転倒ではないだろうか。
私は小学生だか中学生だかの時に目的と手段の明確化について強く感銘を受けました。普段生活をしていく中で、目的と手段が入れ替わることは往々にしてあることなのだと。
快適な睡眠はあくまで手段であって、目的は覚醒状態の時にいかに多くを生産するかなのではないか。
生きるために眠るのであって眠るために生きているわけではない。これはまさに目的と手段が入れ替わっている最たる例ではないか。
などとそのとき一気にばーーーっと感じたことを、そのままばーーーっと喋りました。
何一つ伝わりませんでした。
ばーーーって話すから。
しかし実は、その背景には自分自身も非があるという自覚がありました。
母とはよく散歩に出かけていたのですが、冬に入り、今年に関しては数える程度にしか散歩に行けていませんでした。
それもこれもすべて私がサボっていたからに過ぎないのです。私が散歩をさぼるばっかりに、母は眠るために生きる人間になってしまった。
私は強くその事実に反省しています。近頃は暖かくなってきたのでまた母を誘って散歩に出かけようと思います。
たぶん。
以上です。またね👋