泣いている赤ちゃん、あれは感情で言うと怒りらしいです。
人は怒りというものに振り回されながら生きていると前に本で読みました。人間が持って生まれた誤謬だと。
確かに怒ってよくなることなんて何もないよなと思います。
一時的な解決になることもあるかもしれませんが、問題の根本は怒りが収まってからできることだと思います。
怒りは、自身の思い込みと現実の錯誤。自分の思い通りにいかなかったことの訴えであり、私的な感情です。
つまり子供の癇癪とほぼ同じなんですね。なんだかそう考えると怒っている人ってかなり滑稽ですよね。
赤ちゃんの話に戻りますが、人は初めに怒りでコミュニケーションを覚えるそうです。アドラー的に言うと、コミュニケーションは相手を自分の思うように操作することです。赤ちゃんは母親への要求をすべて泣いて知らせます。
泣いている赤ちゃんの顔を想像してみると分かります。顔を真っ赤に染め、全身に力が入り、睨んでいるかのような表情は、まるで鬼のようです。
それは悲しみではなく、まさに怒りなのです。と本に書いてありました。
母親はそれに対しごめんねごめんねと謝って、懸命に世話をします。
十分に話せるようになるまでは、思い通りにいかないことがあれば、機嫌が悪くなって怒ったり癇癪を起します。それもすべて赤ちゃんのうちに学んだコミュニケーションなんだなと理解できます。
思い通りにいかなかったときの解決策は、なぜなのか、という原因追及です。しかしその前に人間は、自分自身の正当化を図るパターンがあります。その中の1つに怒りというものが残り続けているのではないかと思います。
今目の前で起こった事象は理不尽であり、自分の思い描いていたことが自分に与えられるものとして相応しい。
それで母親にごめんねごめんねとなんでも与えられてきたから、今になってもぎゃおーんと怒る人がいるのかもしれない。
自分が怒る人が苦手なので、こんな感じで言っていますが、もし同じように怒る人が苦手な人がいれば、このように怒っている人を赤ちゃんの頃に母親に要求していたころの名残なんだなという視点で見ると、怖さも薄れるかもしれません。
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余談
とはいえ最近はそんなに怒られていないので(私が外に出ないのと、優しい人たちに囲まれているからというのは大いにあります)、4,5年前に読んでその時思ったことを思い出しながら書いてます。
怒ると叱るは違っていて、よくないことを注意されたら、落ち込みながらも受け入れますが、そこに感情を持ち込まれた瞬間、反省ではなくまずその人に許されなくてはという自衛が働いてしまうのです。
そのあとも失敗したことの後悔とか、嫌われたんじゃないかとか、自分がその人にどう思われているかばかりを考えて、これも感情のバグなのかなと思います。誤謬ってやつですね。そんな仕様もないこと考える前に解決策を考えたらいいのにすぐに感情に支配されてしまう。人を見ていると思ったら映っていたのは自分自身だったんですね。
誤謬(ごびゅうって言うらしいです。当時本で読んで初めて知った日本語です。)
以上です。またね👋