日本では、食べ物を残さず食べましょう。という食に関する教育があります。今はどうか知りませんが少なくとも私が通っていた時にはそのように教わりました。
残さず食べましょうには、好き嫌いをしないことも含まれています。好き嫌いが多い生徒は冷め行くおぞましい食材とにらめっこして、休み時間を消費することとなります。
もちろん自分も嫌いな食べ物はありましたが、自由時間とを天秤にかけてもなお食べることができない食材はなかったので、温かいまま給食をいただくことができました。
しかし最近になって、自分の食への向き合い方について認識の齟齬が起きました。
かつて小学生の時には好き嫌いをしないことで誇っていた、食育エリートの自分がいまだにワサビやからしが食べられないのはどう考えてもおかしい。
もちろん自由時間が奪われるようなら、それらも我慢して食べますが選択権がある中では絶対に食べない食べ物が多くあります。
そのせいで、味すら忘れてもはや食わず嫌いに近い状態の食べ物が多くあります。
代表格はおせちです。あんなんは子供の食べるもんではない。という考えが、大人になっても染みついたままです。唯一食べられるのは栗きんとんです。
ほかにも、最後に食べたのももう覚えていませんが生魚も今のところおいしいと思った記憶はありません。
せっかく海に囲まれた国に生まれ、新鮮で豊富な海鮮が手軽に食べられる環境にいるにもかかわらず、食わず嫌いとは、相当惜しいことをしてるなと自分でも思います。
寿司はいまだにきゅうりとか玉子とかシーチキンしか食べません。これがまだ小学生中学生なら、周りも少し食べてみたらと促してくれますが、相手が大人なら余計なお世話もいいところ、と誰も相手にしないのが常です。
かまいたちの漫才でトトロのネタがあるのですが、この食わず嫌いに対してはもはやそのマインドです。「今まで一度もとなりのトトロを見ずに大人になった今、それを見るか、見ないかは自分にだけ与えられた特権だ」と彼は主張します。
すでに海鮮を知っている人間はその選択権すらないのです。私だけが、今後も「知る」か「知らない」を決める権利があります。世の中の知ってしまった皆さんは、己の意志を介すことなく知らず知らずのうちに、脳に刷り込まれてしまった。人生の楽しみは、自分の意志で見出すことにこそ価値があるのです。
私はこのノリで、時が来るまでお酒も飲まないと決めました。
絶対にこうはならないようにしましょう。
以上です。またね👋