クズ極まれり


子供とは大変幸せな生き物です。

私はいつしか大人になることに抵抗感を覚えるようになっていました。

大人の自由に夢を抱く子供もいることでしょう。自由とは何か。

私にはその自由は責任に縛られているようにしか見えませんでした。

子供時代というのは大人に守られた、無責任で自由な世界です。失敗しても知らぬ間に大人が連帯保証人になってくれます。

おなかを空かすのだって自由ですし、怪我をするのも自由です。そんなことですら自分ひとりの責任ではないのです。

子供時代が幸せだと思うのは、単に私が環境に恵まれていたからなのかもしれません。学生時代、自己防衛的に現実から逃げ、医者からの助言であることを盾に、学校という社会から距離を置きました。

他者から学ぶことをやめ、自問自答と己の正当化に明け暮れた脳は、次第にナルシズムを極め、自己中心的な思考から抜け出せなくなっていました。

誰かが言っていました。自殺とは歪んだ自己愛の表れなのだと。中二病とは、己の特異性に執着し、何よりも自意識が強い状態であることを指すのだと。

私は何て惨めでイタイ人間なんだと、自分のことが心底憎くなりました。

そんな様子を知ってもなお、自責的な親のやさしさには疑問ばかりが浮かんでいました。この人間に何を尽くすことがあろうか。

きっと子供だから許されているのだと私は理解しました。なぜなら義務だからです。

この結論に至った時から、大人になることが嫌でなりませんでした。責任逃れの快適さを手放したくなかったのです。そのころ兄は大学を卒業し、就職して一人暮らしを始めました。

一方、大学にもいかず、就職もせず、娯楽ばかりが目に付く子供部屋でのんべんだらりと過ごす日々。

(不味い。このままでは追い出されてしまう)

そうなれば残りの人生幸せとは程遠い生活を送ることになるだろう。そんなことでは楽しくないと、どうにかこうにか家に依存する口実を作れないかという考えにシフトしました。まさに屑極まれり。

エゴイストな自分をどうにか可哀そうな奴に仕立て、いかに無能であるかを説き、責任能力のない人間に見せるか。自分が子供であることを、大人になってもなお追い求めています。

大人になることに抵抗感があると言ったが、そうではない。いつまでも大人になれない自分をまた正当化しているだけなのです。

親がこのことに気が付いてしまわないよう、祈るばかりです。

以上です。またね👋

 

追記

親がこのブログ見たとしても笑って読んでくれると思います。


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